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HEROの中国留学奮闘記

2002年04月

2002年03月31日(日) 北京
風邪を引いてしまい、午前中は休んだ。午後は少し勉強したりして過ごした。体調管理はしっかりとしないといけないことを痛感した。倒れてしまったら、勉強なんてできない。
2002年03月30日(土) 北京
恋人と一緒に北海公園に行った。非常に天気が良かったが、カメラを持って行くのを忘れてしまった。公園を散歩するなんて、日本ではとても考えられなかった。中国は時間の流れが本当にゆっくりとしている。中国語の勉強も少しした。公園で勉強するのも悪くない。また行きたいと思った。
2002年03月29日(金) 北京

口語の授業は数字の言い方だけで相当の時間を費やした。他の留学生はよく発音を直されていたが、私は全然発音を直されなかった。先生に自分の中国語が通じた。最近、自分の中国語が上達する実感が無かったが、今日は久々に感じた。ちゃんと成果出てるじゃないか!

夕食は恋人がおごってくれた。Nと同居のHさんも一緒だ。食べたのは、日本で言うしゃぶしゃぶだ。肉は羊である。会話はもちろん、中国語が中心。会話についていけなかった。私の中国語のレベルはまだまだだと思った。

2002年03月28日(木) 北京

ヒアリングの授業が難しくなってきた。なかなかに手ごたえがある。どうやら、私はヒアリングが特に苦手らしい。くじけず、苦手なら中国語をたくさん聞いて慣れるしかない。頑張るぞ!

同居のHさんが帰ってきた。やっぱり、いるべき人がいないと寂しいものだ。夜は中国語と日本語をお互いに教え合った。

2002年03月27日(水) 北京
同居のHさんが帰省した。実家は北京の郊外にあるらしい。Hさんは北京育ちの北京人。北京の戸籍を持っていると、北京で生活するならいろいろな方面で有利だ。だから、「北京の戸籍が買えるものなら大金を出しても買うと思うよ」とNが以前言っていた。私も北京人になりたい、と思った。
2002年03月26日(火) 北京
最近、学校の先生の話すスピードが大幅にUPした。むぅ、今までは手加減されていたのか(当たり前)。聞き取れない部分が多い。しかし、これぐらいでないと語学の勉強は面白くない。今日の授業は午前だけ。午後は勉強しまくるぜ!!!
2002年03月25日(月) 北京
我がいとしの黄金馬1号が盗まれてしまった!なんということだあああっ!せっかく復活したのにぃ・・・。やはり、1号などと後に続くような名前を付けてしまったせいか!?生後わずか19日で私のもとを去ってしまった黄金馬1号に哀悼の辞を捧げたい・・・。
2002年03月24日(日) 北京
後は北京大学に通っている日本人のHさんに中国語を教えてもらった。8年も中国語を勉強されている方なので、知識量はすさまじい。しかし、あまりに細かい文法を勉強したので、頭が痛くなってしまった。夜は同居の中国人のHさんと一緒に中国語と日本語を交互に勉強した。やはり、お互い言葉が通じない方が語学の勉強には最適だと思った。
2002年03月23日(土) 北京

朝、ついに黄金馬1号が復活した!新しい鍵は赤色にした。これでまた、北京を縦横無尽に駆け巡ることができるぜ!

午後から恋人と一緒に王府井に行った。自分でやっている中国語の教科書のテープを買うためだ。やはり、ヒアリングの練習も必要である。買い物を済ました後はショッピングをし、夜は隣の棟のLさんの家で一緒に食事をした。食事は全部恋人が作ってくれた。言うまでも無いことだが、すごく美味しかった!

2002年03月22日(金) 北京

夕方、黄金馬1号を救出するため、再びNの学校に向かった。まずは夕食をNの学校の食堂で食べた。安く、なかなかに美味しかった。様々な民族料理も用意されている。留学生が増えてきたためか、いろいろな面で質も向上しているらしい。ICカードにお金を入れて、それで食事を買うのは印象的だった。

食事の後、黄金馬1号のもとに向かった。ダメもとで試してみたが、やはり鍵は開かなかった。これはもう、自転車屋に持って行くしかない。・・・しかし、自転車を運ぶ姿はどう見ても盗もうとしているようにしか見えない。怪し過ぎる。学校を出ようとしたら、案の定、学校の門番に呼び止められた。その後、しばらく拘留されたが、無事釈放された。家の近くの自転車屋に持っていったが、閉店していた。残念無念。今日はNのおかげで貴重な経験ができた。謝謝!

2002年03月21日(木) 北京

昨日の夜遅くにたくさん食べた後よく消化させずに寝てしまったので、朝はお腹の調子が悪かった。反省。

私と同じクラスに日本人の留学生が1人、新しく入ってきた。高校を卒業した後、すぐに来たらしい。今年の9月から北京大学に入るので、それまでここで勉強するそうな。中国語のレベルはまだまだ。このクラスの班長は私だ。ミッチリ鍛えてやるぜ!

夕方、Nの学校に我が愛機、黄金馬1号を救出に向かった。あるにはあったが、鍵が開かなかった。悪戦苦闘の末、今日のところはひとまず引き上げることにした。

2002年03月20日(水) 北京

先生に「中級に行きなさい」と言われてしまった。しかし、「今、中級の教科書を自分でやっていて、3分の2ぐらいの漢字の読み方&意味が分からない」と言ったら、「授業はこのまま受けて、自分で中級をやって分からないところがあったら私に聞きなさい」と言われた。まあ何にしろ、先生にこう言われたことは1つの基準を突破した証拠であろう。自分の中国語が上達する実感が持てて、すごく嬉しかった。こうなってくると、中国語の勉強が楽しくて辞められない。

自転車の鍵の調子がおかしいと思ったら、ドライバーのような物でこじあけようとした形跡があった。つまり、盗まれかけたのだ。私と恋人を結ぶ愛の絆「黄金馬1号」を盗もうたぁ、不届き千万なりぃ!まあ、盗まれなかったから良しとしよう。しかし!Nが学校に行く時に貸したら帰りに鍵が開かず、学校に置いてきたそうな。嗚呼!我がいとしの黄金馬1号、早く帰っておいで・・・。

夜は隣の棟のLさんの家で、同居のHさんの誕生日会をした。なかなかに盛り上がり、楽しく過ごすことができた。Hさんの恋人も来ていた。Hさんも何だかんだ言っても嬉しそうだった。ケーキが美味しかった。また食べたい。でも、当分はいらない。

2002年03月19日(火) 北京
あいかわらず、ヒアリングの授業は難しい。最近、「そろそろ上のクラスに行こうか」と考えるのだが、まだまだのように思える。初級は先生もゆっくりと話してくれるので、授業自体がヒアリングの良い練習になる。それを考えると、学校は初級で基本をしっかりと学習し家では中級をやる、このスタイルが妥当だと思う。しかし、実はH先生は用事で1ヶ月ほど家庭教師ができなくなってしまったのだ。今のところ、同居のHさんにお願いしようかと考えている。
2002年03月18日(月) 北京
午後は課外授業となり、学校の外のスーパーに行った。午前中に勉強した野菜の名前を復習するためである。私と1人の韓国人以外、ある程度聞き取りと会話ができる人がいないので、先生が嘆いていた。より所を求めるように、私にベラベラと話しかけてくる。「ヲイヲイ先生、そんなに私は聞き取れないぞ」と思いながらも、聞いていると知っている単語が聞こえてきて何となく意味が分かった。言葉が通じるようになってくると、語学の勉強は本当に楽しい。
2002年03月17日(日) 北京
夕方は恋人の友人の家でNも交えて交流し、夕食を一緒に食べた。会話はもちろん中国語が中心だ。中国語ができるように早くなりたいと思った。
2002年03月16日(土) 北京
今日は恋人との久しぶり(?)のデートだ。北京動物園のそばのデパートに行って買い物をした。しかし、ここにはお気に入りの服が無く、西単にある繁華街に行った。偽物を売る店もあるが、偽物なのに400元もする服などはザラだ。こんな値段だったら本物を買う方がマシだ。このように、最初はふっかけられる。よく知らない外国人はそれでも買うからだ。恋人は約400元の服を95元に値切っていた。すごい!そんなこんなで、恋人と楽しく1日を過ごした。
2002年03月15日(金) 北京

学校に行った後、H先生に中国語を教えてもらった。風邪を引いていたにも関わらず、熱心に教えてくれたのにはとても感動した。

H先生は16時30分頃帰ったので、その後は黄金馬1号で北辰に行ったりして北京を探検した。だんだん行動範囲が広くなるのは実に楽しいことだ。しかし、今日は風が非常に強かったので道路のホコリや砂が舞い上がって目に入り、泣きながら自転車をこいだ。N曰く、「これからはこんな天候が続く」らしい。慣れるしか無いのか・・・?

2002年03月14日(木) 北京

今日は学校で、初級のクラスの班長に任命されてしまった。クラスの中では聞き取り&会話ができる方だし、韓国語が少しではあるができるので先生の話が分からない韓国人に通訳できるかららしい。大事のようだが、仕事らしい仕事は黒板をきれいにする当番を管理することだ。実は大したことは無い。

同居のNの自転車が盗まれた。やはり、馬年なのに赤い物(中国では赤い物は縁起が良く、厄除けの意味がある)を身に付けていなかったことと、私のように愛車に名前を付けていなかったことが主要な原因であろう。今回は購入後6日目。最短記録らしい。これは当分、自転車を買いそうにない。

今日から家庭教師を1人つけた。少し離れたところに住んでいるH先生だ。朝鮮族なので、方言ではあるが韓国語もできる。日本語もできる優秀な人だ。同居のNから中級の教科書をもらい、それを勉強することにした。中級なだけに、3分の2ぐらいの漢字の読み方&意味が分からない。これぐらい手ごたえが無いと面白くない。この勉強は別にいつまでにここまで、というような期限は無く、落ち着いてじっくりと勉強できる。これなら、難しくても中国語が嫌いになることは無いだろう。頑張るぞ!

2002年03月13日(水) 北京
最近、学校が楽しくなってきた。先生の言葉も以前よりは聞き取れるようになってきたし、周りの韓国人とも交流するようになったからだ。しかし、やはり中国生活に完全に慣れていないので、絶えず不安と緊張がつきまとう。こんな時、恋人の何気ない一言でも嬉しいものだ。恋人は本当に僕をよく支えてくれる。本当によくできた女性である。
2002年03月12日(火) 北京
学校の授業で先生が何を言っているか分からない韓国人がいたので、片言だが韓国語で通訳してしまった。明らかに周りとレベルが違う。しかし、今後の中国語の勉強の基礎となる発音を非常に丁寧に教えてくれるので、これで良い。
2002年03月11日(月) 北京
恋人の友人が誕生日だったので、北辰で恋人と共に祝った。北辰までは家から歩くと40分ぐらいかかるが、自転車だと15分ぐらい。自分の機動力の高さに我ながら驚いた。
2002年03月10日(日) 北京
今日は隣の棟のLさんの家に行ったが、中国語ばかりの会話に付いていけず、途中で帰った。中国語ができないことが悔しかった。家に帰って少し休んだ後、単語帳を作りながら勉強しまくった。「今に見てろよ!」、そんな気持ちだった。こんな時、恋人が支えてくれたのは本当に嬉しかった。今日ほど、恋人の存在の大きさを感じたことは無かった。
2002年03月09日(土) 北京

今日は恋人の家に行くことになった。中国語の勉強のためだ。自分で勉強するのも必要だが、生の中国語に多く触れることもまた必要である。「昼食のための野菜を買ってきて欲しい」と恋人に言われたので、行く途中で市場に寄った。野菜の名前の漢字が分かっても、日本語で何と言うか分からない。店の人につたない中国語で質問し、なんとか全部買うことができた。

家に帰った後、隣の棟に引っ越してきたばかりの知り合いの中国人のLさんが「来てください」と言ったので行ってみると、予想通り掃除が待っていた。最近、心の余裕が無くて掃除をしていなかった。やってみると、心も整理することができて非常に良かった。夜はLさんの家で食事をした。

2002年03月08日(金) 北京

今日は女性の日。女性は午前中で仕事が終わるのだ。学校が終わった後、恋人と会って出かけた。バスに乗っている途中、重大なことに気がついた。・・・パスポートが無い!!!今日は学生証を作るために学校の先生に見せたのだ。カバンの中をいくら探しても無い。いろいろ回想しても、学校以外に落とす場所は無い。急いでバスを降りてタクシーで学校に行った。「頼む!あってくれ!」心の中で叫びながら学校に向かった。先生の部屋に行って聞いてみると、「パスポートの落し物は聞いてないなあ」と言われた。・・・本格的にヤバイ。先生が貴重品の入った鍵付の引き出しを開けた。するとパスポートの束があった。その中に見覚えのある赤いパスポートがあった。見ると、本当に私のだった!!!学生証を作るためにパスポートを預かったらしい。・・・おかしい。返してもらってカバンに入れた覚えがあったのに。とりあえず、寿命が10年縮んだのは確かだ。

恋人にピザをおごってもらった後、BPを買いに行った。日本で言うポケベルだ。最近は携帯電話の普及でBPの値段は下がり続けている。私が買ったのは漢字表示機能、天気予報(かなり詳しい)機能、テレビ番組のお知らせ機能などがあるBPだ。これだけの機能が付いて110元。店頭価格は180元だったが、恋人が頑張って値切ってくれた。恋人に感謝、感謝だ。さっそく恋人の用事で使ってみたが、音に気がつかず発見が遅れた。・・・阿呆である。

夜は恋人と一緒に映画を見た後、それぞれの家に帰った。今日はトラブルが多かったが、楽しく過ごすことができた。夜は同居の中国人のHさんとLさんと一緒に中国語を勉強したり、日本語を教えたりした。

2002年03月07日(木) 北京

ヒアリングの授業がすごく難しかった。どの発音も同じように聞こえる。くやし過ぎる。これからは同居の中国人のHさんに中国語の勉強に付き合ってもらうことにしよう。

今日は自転車を買った。我が愛機となるこの自転車の名前は、黄金馬1号だ。我ながらかなりナイスなネーミングである。鍵やらカゴやら付けてくれて145元だった。北京のタクシーの最低料金10元で行ける場所なら、自転車でも十分行ける。経済的になるはずだが、よく盗まれると聞いた(Nは今までに3回盗まれた)。まあ、日本でもどこでも盗まれない保証など無いので、気にしても仕方が無い。とにかく、機動力が7は上がった。

夜は頭が痛くて薬を飲んで早めに寝た。体力が無くなるのが異常に早い。いつも緊張感がつきまとう留学生活を送っているからだろう。早く慣れたいものだ。

2002年03月06日(水) 北京

学校に行くのがだんだん楽しくなってきた。最近バタバタしていたので、そろそろ単語帳作りなどをして落ち着いてじっくり勉強したいところだ。楽しいだけで留学が終わったら非常にもったいない。韓国人の友人とも少し交流した。向こうも日本語を少し勉強していたらしく、片言の日本語で話しかけてきた。嬉しかった。自分の国の言葉を話してくれる嬉しさを改めて思い知った。

夕食は恋人がおごってくれた。韓国料理だ。中国では、韓国料理は日本料理に次いで高い料理だ。美味しいが、そうそう食べることはできない。恋人の愛を非常に感じた。中国語を一生懸命勉強してお返しをしたい、と思った。もちろん、今度食事もおごりたい。

夜は単語帳を作ったり、同居のHさんに中国語を教えてもらったりして過ごした。これだけ中国語漬けにされてこそ中国語は上達すると思った。環境に浸ることが重要である。

2002年03月05日(火) 北京

今日は授業2日目。教室が違うのを忘れていた。しかもみんなで。先生が「早く教室に来い」と言いに来た。まずは聞き取りの授業だ。昨日よりは緊張も和らぎ、先生の言葉も分からないながらも昨日よりは聞き取れるようになった。しかし、単語を知らなければただの発音の羅列だ。やはり語学は単語である。

同じクラスの韓国人と片言の韓国語で話した。久しぶりに聞く生の標準韓国語だった。中国語と同時に韓国語も勉強できるので、非常に嬉しい。韓国語も上手になったら恋人をもっと喜ばせることができると思うと、やる気が非常に出てくる。

今日は午後の授業は無い。ラッキー!・・・じゃなくて太遺憾了。家に帰った途端、疲れがどっと出て爆睡してしまった。慣れない環境の中では、常に緊張感がつきまとう。同居のNも「自分も以前は昼食後によく眠くなった」と言っていた。

2002年03月04日(月) 北京

今日は初めての授業だ。私が行く学校は、後で中医大学に編入する人達が多い。その大多数は韓国人だ。案の定、私がいるクラスは韓国人ばかり。彼らは知り合い同士で来ているので非常にうるさかった。

授業が始まった。もちろん、全部中国語だ。先生が何を言っているのか、半分以上分からない。しかし、おかまいなしに授業は進む。何を言っているのか分からなくても、やることはなんとか分かる。発音をゆっくり、何度も繰り返す。「この学校は初級は丁寧で良い」と聞いていたが、噂通りだった。今日は午後も授業があったので、かなり疲れてしまった。

学校が終わった後は恋人の初出勤をねぎらうための花を買い、カレーライスのための牛肉を買って恋人の家に向かった。1人での買い物は緊張するが、言葉がまだできないから、と恐れていては何も始まらない。やってみれば何とかなるものだ。何事もチャレンジが重要だと思った。16時頃、恋人の家に到着。19時には私と同居しているNも来た。恋人と一緒に作ったカレーライスを食べながら楽しく交流し、恋人の初出勤の苦労をねぎらった。

2002年03月03日(日) 北京

午後は北辰にあるデパートにYさんとNと買物に行った。電化製品は日本製もあるが非常に高く、むしろ日本で買った方が安い。Yさんはここで掃除機を買った。他にもいろいろ買ったらしい。

買物の後は1人で恋人の家に行った。北辰からは歩いて10分ほどだ。近くの市場で果物を買った。中国では、知り合いの家を訪れる時は何か持っていくのが習慣となっている。1人で買ったので非常に緊張した。恋人は明日から出勤するので、今日は会社に用事で出向いていて、18時頃帰って来た。それまでは同居の中国人達と交流していたので暇を持て余すことは無かった。恋人達と楽しく交流した後、家に帰った。語学の勉強は積極的に交流した者勝ちだと思った。明日は恋人達にカレーライスを作ってあげることになった。ちょっと緊張である。夜には同居の中国人のLさんが帰って来た。さあ、これで全員揃った。4人での楽しい留学生活の始まりだ。

2002年03月02日(土) 北京

午前はゆっくり過ごし、午後は望京にあるPさんの家にNと一緒に遊びに行って昼食を共にした。昼食中、一緒にいたYさんの子供が公園に行きたいと言い出した。私は疲れていたので聞いてないフリをしていたが、根負けして結局行くことに。裸足で走り回る子供を見ていたら、心が非常に和んだ。子供と一緒に遊ぶのも悪くない。

Pさんの家から帰った後、自分が留学する北京聯合大学旅游学院に行った。入学手続きをするためだ。手続きをしてくれる先生が何やら中国語で話しかけてきた。「何を言っているのか分からない」と中国語で話すと、「分からなくてもかまいません」と言ってくれた。手続きを終え、教科書を受け取った後、学校を後にした。授業は4日からだ。さあ、頑張るぞ!

夕食は外に食べに行った。家から近い場所だ。同居の中国人のHさん曰く、「味も値段もまあまあ」とのこと。久しぶりにたくさん食べた。よく食べ、よく休み、よく勉強する。健康の基本である。

2002年03月01日(金) 名古屋 → 北京

とうとう来るべき時が来た。新しい人生の門出だ。横浜から名古屋に帰って約1週間。預ける荷物の重量制限(20Kg)との戦いの日々の連続だった。リミットギリギリ、しっかりと体をつくってきた、というところか。フライトは16時15分。今回は関空から出発だ。集合は2時間前だが、余裕を持って8時に我が家を出発した。「この家にはいつ帰ってくるのか」と思うとひどく懐かしい。

13時20分頃、関空に到着。足取りが重い。機内持ち込みの荷物は20Kgは超えている。つまり、総重量40Kg以上の荷物を1人でここまで運んできたのだ。今日はあまり食欲が無く、朝から何も食べていない。経由便なので、1度青島で降りなければならない。これも20Kg以上の手荷物を持って乗り降りするのでなかなかの重労働だ。北京まで体力は持つのだろうか・・・?

機内では中国人のふりをしてみようと思った。隣席の人は明らかに日本人なのだが、中国語で挨拶した。向こうも私が中国人と思ったのか、中国語で答えた。このままいけるか・・・?と思ったその矢先、入国審査カードが配られた。しまった!ペンが無い。審査場で書くと非常に面倒だ。そこにペンがある保証も無い。仕方なく、隣席の人に「ペンを貸していただけますか?」と日本語で話しかけた。むぅ、敗北だ。非常にくやしい。これでバレた・・・というか、日本人向けの中国語の参考書を見ていたので、バレバレだったと思うが。

ペンを借りたところから交流が始まった。隣席のTさんは中央民族大学の留学生だった。既に半年留学しているので私の先輩になる。初めて留学する私にとって、先駆けて留学している人の体験談は非常にためになった。連絡先を交換し、また会うことにした。

20時頃、北京空港に到着。ほぼ予定通りだ。恋人が迎えに来てくれたことで、旅の疲れも非常に癒された。私の住み家となるNの家に着いた後、明日から本格的に始まる留学生活への期待と不安を胸に爆睡した。・・・それにしても、日本から持ってきたビデオデッキと部屋にあるテレビの相性が合わず、私の大好きなガンダムが見れなかった。太遺憾了。

 

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