太宗は唐を興した高祖李淵の次男で、名は世民と言いました。長男の健成が皇太子の座にあったのを、クーデター(玄武門の変)で追い落とし、626年に第2代皇帝の座に就きました。
まず、太宗は府兵制(兵制)、均田制(土地制度)、租庸調制(税制)、中央官制などを制定し、支配体制の基盤作りに尽力しました。
太宗は房玄齢や如晦、魏徴ら優れた側近を得て、300年続く唐王朝の基礎を築きました。太宗の治世はその元号から“貞観の治”とたたえられています。
なお、中国唯一の女帝として知られる則天武后は、もとは太宗の後宮にいた女性。それを息子の高宗が見初め、太宗が死去した後に密かに自分の後宮に入れ、後に皇后としました。則天武后が建てた周王朝を倒し、再び唐王朝を復興させたのが、楊貴妃とのロマンスでも知られる玄宗です。