康熙帝は清の第四代皇帝です。わずか8歳で即位し、15歳から親政を行いました。1673年に滅ぼし、中央支配を確立。漢族の反満思想に関しては厳しく取り締まる一方で、漢族知識人達を積極的に登用するなど、アメとムチの政策を採りました。
また、文化政策にも力を入れ、朱子学を奨励して、『康煕字典』や『前唐詩』、『大清一統志』等を編纂しました。イエズス会の宣教師によってもたらされた西洋の数学、天文学、地理学にも興味を示しました。
対外的にも、ロシアとの間にネルチンスク条約(1689年)を結んで中国の領土を確定し、チベット、ジュンガル、青海を支配下に置きました。
名君とたたえられる康熙帝ですが、晩年には財政がやや窮乏。しかし、それも後を継いだ雍正帝によって立て直され、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の三代134年間は、清の最盛期となりました。