孫文は広東省香山の出身で、14歳でハワイに渡り、ハワイ大学に進学しました。いったん帰郷したものの、1883年に香港へ行き、キリスト教の洗礼を受けました。
香港では医学校に入学し、民族主義に目覚めたと言われています。広州に移り、興中会を活動の拠点としながら、1895年に蜂起を画策するも失敗、香港、日本を経てハワイへ亡命しました。その後、ヨーロッパへ渡り、『三民主義』の基礎を築きました。
1905年には日本で中国同盟会を結成。1911年に辛亥革命を起こし、中華民国臨時政府の臨時総統になりました。翌年には、アジア初の共和国である中華民国が成立。初代総統となりますが、軍閥の力を背景にした袁世凱にその座を譲りました。
この後も国民党を拠点として革命運動を続けますが、志半ばで肝臓ガンで死去。「革命いまだ成らず」という遺言は有名。